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ようこそクスクリ小説にお越しくださいました。ありがとうございます。

8年間ヤフーブログをやってきました。私は大学生の頃から趣味としての精神的支柱がないと生きて行けない人間です。

安月給なのに、「ミス・イコール・死」の覚悟で数十年仕事を続けてきた私は、物語の登場人物たちに励まされて鬱一歩手前で何とか踏み止まっています。

記事が半端ない量に達したときふと不安になったんです。

ヤフーが潰れることはないとは思うんですが、何らかの理由で記事が消失してしまったら今の私は生きる支えを失ってしまいます。せめて書籍化して残しておかねばとブログ設定画面を覗いたら製本サービスが無くなってしまってました。

何とかならないかとネットを探索し捲りましたが、もう手段は記事を別のブログに移すしかありませんでした。せめて小説だけでも移してしまおうと選択したのがFC2ブログです。

やってみてびっくり、ヤフー以外のブログの自由度がここまで進化・複雑化してたなんて私はカルチャーショックを受けてしまいました。トップページ・テンプレートの設定さえままなりません。

ヤフーには5千字の字数制限があるため、ともすればページが歪になってしまう傾向があります。でも、FC2ブログはその心配はないようです。移すからには改稿・推敲し直し、より素晴らしい文章に近づけて行くつもりです。

ヤフーの中に収めている小説は「二十歳の紀子」「凶悪志願」「夢界の創造主」「ちんばの総長」 「倭王・武」「俺とやっくり」「オッス空手部」の7作品ですが、後半の3作はまだほとんど書いておりません。先に前半4作をFC2に移すことが急務です。

ブログ画面右端真ん中の「全ての記事を表示する」をクリックしていただければ、日付別に単純に整然と記事が並んでおりますので閲覧、どうぞ宜しくお願いします。

物語はフィクションです。登場する個人・団体名はすべて架空のものです。どうぞご了承下さい。

ランキングは初参加です。小説を残すためのPDF化・製本化が目的だったので軽い気持ちの参加だったんですが、ランキングの上下が私のモチベーションにこんなにも影響するとは思ってもみなかったです。

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俺は死を待つ親父を見捨てるのか(2010年7月26日)

 7月21日の休み、俺は家族を伴って一日帰郷した。たった一日の休みだがどうしても両親の顔を見に帰らねばならなかった。親父が孫の康太に会いたがっていたし、27日の再入院の前に親父の体調を確かめたかった。

 三男に医者の見解を聞いたら、今の抗がん剤に効果が認められず癌が大きくなっているとのこと。今回の入院は新しい抗がん剤を試すためだ。

 仕事を終えた夜11時頃小倉を出て午前2時頃鹿町に着いた。
 鍵が掛かってない勝手口から家の中に入った。

 さすがににこの時間親父は寝入っていた。具合も悪いだろうし起こすのはかわいそうだ。
 
 嫁は押し入れから布団を出して寝たいと言ったが夏でもあるし、エアコンを利かせて転寝した。

 就寝中、親父の声が聞こえた。お袋のトイレに付き合って起きたようだ。
 俺はタヌキ寝入りを決め込んだ。

 親父は俺を認めて嬉しそうに、「何かやっばりちゃんと帰って来てくれとったんか」



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2010年ゴールデンウイーク・京都奈良から鹿町へ(2010年5月15日)

 親父はまだ将棋を続けていた。
 居間で寛いでいると対馬の小学校で校長をしている次男が一人でやってきた。

 この前、親父の深刻な病状を電話で伝えると、
「兄ちゃん、ある意味もう仕方がないことじゃ。俺らができることはできる限り実家に顔出してやることだけや」

 今日の次男は嵌まってきていた。体力のなくなった親父に代わって家の周囲の草刈りをしてやるつもりだ。小気味よい草刈り機の音をBGMに俺は浅い眠りに就いた。

 うとうとしているところに縁側から次男の声。
「兄ちゃん、康子さんが手伝うてくれよらすばってん、この竹箒じゃ仕事にならん。松葉ば買うてきてくれ」
「あぁええで。ちゃん行くぞ」
「父ちゃん金は?」
「さっき親父から貰うた千円があろうもん」

 晩飯は人数が揃ったので一番手軽で賑やかに摘めて親父も喜ぶ焼肉にした。
 江迎鹿町で唯一のスーパー・まつばやに行ったら、小倉ではもうお目にかかることがなくなった牛のばら肉の冷凍パックがあった。それも一応国産牛だ。

 独身の頃、4駆での野外焼肉に嵌まっていた俺らが食材の調達に道程のスーパーに飛び込んでいつも手にとっていたのがこのガチガチに凍ったバラ肉だった。
 早速2パック手にとった。

 飢え児のように、飯の上に焼肉を乗っけてがっつくちゃんに、
「ちゃん、相変わらず汚ぇ食い方しよるな」と言葉をかけた。
 見ると、病気で腹一杯食えない俺と違って次男もちゃんと同じような豪快な食い方をしている。
「焼肉はこげな食い方せんとな」とちゃんを擁護してくれる。

 考えてみると、変なプライドにこだわっていた俺のせいで叔父と甥が楽しく食卓を囲む機会が殆どなかった。ちゃんにはすまなかったが、今更ながらの叔父と甥の微笑ましい光景だ。

 6人でホットプレートを突きながら親父が決まり文句を口にする。
「みんなで食べるんは楽しかぁ」
「いつもかあさんと二人で寂しう食べとるもんなぁ。飯も美味うなか」
――あぁ親父、俺らができるかぎり来て賑やかにしてやるけ!!

 まぁたった5日間のゴールデンウィークだからあっという間に終わるんだろうと覚悟していたが、恐れていた最終日がとうとうやってきた。
 夕方鹿町を出て夜遅く小倉に着く。寝て、起きて、連休の余韻を引きずったまま会社に行かねばならないと思うと虚しい。

 今回も早めに実家をお暇しようと思っていたら、親父に先手を打たれてしまった。俺には嬉しい誤算だ。今まで、これから帰ろうとする俺ら家族を引き留めるような物言いはしたことはなかった、ある意味ドライな親父だった。

 嫁が良く言っていた。
「お父さん達、私達が来てもあんまり外に出たがらんよね。家に居るだけじゃ面白くない。鹿町に行くより高松に行った方が何処でも連れて行ってくれるけん愉しい」

 朝飯を食べ終わってお袋をデイサービスに送り出し、居間で一息ついていた俺らに、
「黙って家に居ったっちゃ時間の過ぎんやろ。白岳にでもつつじ見に行くか」
 無論、俺に異存はない。帰る時間が真夜中になったとしてもそれが親父の希望なら何でも叶えたる。
「おっさん冷水岳の崖に行ってみようや」
「俺は何処でもよか」

 小佐々町(現在は鹿町と同じく佐世保に吸収されている)冷水岳……
 ゴールデンウィーク期間中、歌手を呼んでイベントやって盛り上げっていた時期もあったが財政難の昨今、もうそんな住民サービスをやる財力は残ってないようだ。
 
 数年前、西川峰子や狩人が来た年はお袋と俺ら家族の4人で出掛けた。
 冷水岳広場いっばいに人が集まり、出店が通路の両側に隙間なく居並び賑わっていたのが嘘のようだ。

 冷水岳公園はだだっ広い。崖への道筋がわからなかったので一応上の方の駐車場に車を停めた。
 親父がいう。
「こんだけの公園整備するんは大変やろうな。ばってちゃんと草も刈ってあるばい」

 アスレチックの器具で父娘が遊んでいた。それを見下ろす丘まで移動したが、肺が半分しかない親父には辛そうだった。十数歩歩いては立ち止まった。
 右上方に展望台が見える。そこに向かう車も見える。

「展望台まで車で行けそうやで、行ってみゅうか」
 3重の階段を登ると展望台だ。親父は車で待った。
 上空は若干曇っていたが、北九十九島が一望だ。さすがに見晴らしが良い。右手には山間の開けた所に棚田も広がっていた。数組の観光客が絶景に見とれている。

前方に松林…杣道がある。あれを辿れば絶壁に行き着くかもしれない。
 看板があった。
 ――この先崖危険――
 出た!あの崖だ。
 構わず息子のちゃんと柵を乗り越えた。先端に足を踏み入れると身の毛もよだつ。

 うへっ!
 嫁がビビッて、柵の手前から、
「2人とも危ないよぉ~」

 ちゃんと携帯で写真を撮り捲った。
「ちゃん知っとるか。ここは自殺の名所ぞ。もう数十人は死んどるぞ」
「ならこげんやって写真撮りまくったら写り込むかもしれんね」

 俺は惚けて、
「何がや?」
「そりゃ当然霊たい」
「あぁあとで見てみゅうか。心霊写真になっとるかもしれんぞ」

 俺がこの危険極まりない崖を知ったのは40数年前だ。

 あるとき、亡くなった舟の村の伯父貴が従姉妹と俺を中古のスズキ・フロンテでドライブに連れて行ってくれた。
 当時は昭和40年代、俺らは車に乗れるだけで嬉しかったし楽しかった。伯父貴以外、親類の誰も自家用車を持っていなかった時代だ。親父は免許さえも持ってなかった。親父が運転できたのはおっちゃん自転車と松浦線のSLだ。

 そのとき伯父貴が連れて行ってくれたのが小佐々町冷水岳のこの崖だ。記憶では頭を崖から出して下を覗いてみた気がする。
 おぅ怖!!

 車の中で親父が、
「そろそろ腹減ったのぅ」
「そんなら、久しぶりに平戸口の魚の旨い店に行ってみゅうか」と俺が提案した。

 俺らは鹿町・江迎を通り越し、平戸へのルートをとって坂道に差し掛かった。
 昨日確かめにきた道路公園…やっぱり出ていない。

 道の駅、昆虫の里・田平昆虫公園を過ぎると国道は左の平戸大橋方面と右の平戸口方面の二手に別れる。目的の店は右だ。
曲がったところに平戸大橋が一望できる道路公園がある。

 ふと、眼を遣ると、
 あったぁ!

 お目当ての北松アイスクリームだ。このアイスクリームは出店販売しかやっていない。こう陽気が上がるとパラソルを見ただけで涎が落ちそうだ。病気で甘い物が食べられなくなってもこれだけは別だ。

 とにかく旨い。北松浦郡に住んでいた者にはアイスクリームと言ったらこれしかない。
 メインはバニラ味でクリームは若干黄色味を帯びている。通常はこれ一種しか売っていないので俺はこれがバニラ味とは知らなかった。

 ゴールデンウイーク前のつい4月6日、親父に新車を納車に行ったついでに西海橋に花見に連れて行った。駐車場の入口付近に当たり前のように出ていた北松アイスに俺らは飛び付いた。

 ――ありゃ、3種類の味がある。確か黄色やけ、バニラじゃないよな――
 俺はメロン味を選択した。

 色が違う。
 嫁さんはちゃんと黄色のバニラ味を選んでいた。もう1個買おうかとも思ったが、さすがに病気を意識して諦めた。

 目的の食堂はお食事処「満腹」だ。取り立ての魚貝類を使った新鮮さが売りの店だ。
 息子が小さい頃、アトピーで湿疹や瘡蓋が体中にできていた。心配した両親が平戸口の皮膚科を紹介してくれ、帰り、よくこの「満腹」で昼飯を食った。この店はもちろん刺身が中心なんだが、どうしたことか、俺らはそれ以外の焼肉定食とかを注文していた。

 今日は俺が音頭をとって刺身定食の梅を注文した。
 出て来た定食は結構ボリュームがある。体重に影響しないか心配だ。

 定食を半分くらい平らげた頃、女性店員が寄って来た。
「ただいまサービスで刺身のお代わりをやっております」

 なんやて!!
 刺身のお代わり…俺は唖然とした。聞いたことがない。
 これを断る馬鹿は居ない。さすが魚の本場の食堂は違う。感服してしまった。

 実家に帰ったのは14時過ぎだった。
 お袋は16時にデイサービスがら帰ってくる。
 俺ら家族は親父とお袋に見送られて実家を後にした。


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癌再発

 昨日の夜、携帯に親父から電話が入った。受けた途端、悪い予感がした。この前、佐世保からわざわざ福岡の和白までPET診断に行った結果がそろそろ出る頃だったから。

 親父は咽びながら懸命に言葉を搾り出しているようだった。
「また肺にがんができとるって医者が言うんよ」
「またってもう2回も手術して肺な半分しか残ってねぇんにこれ以上、医者はどげな治療する言いよんや?」
「もう手術出来んけん抗がん剤治療するって言うとたい。また、髪の毛が抜けてしまうわ」

 親父は3年前、悪性リンパ腫を患い、抗がん剤治療で快復した。
「何で俺だけがこげん目に合わないかんかて泣くごとあるばい」

 俺は一時言葉に詰まったが、
「おっさん、ものは考え様や。この前言よったやねぇか、おっさんの友達はもうみんな死んでしもうたって」
「あぁそうや。だぁれも残っとらん」
「考えちみればまだ生き残っとるだけおっさんは幸せ者や」
「今から楽しかこと俺がいっばいしちゃるけん」

 親父も今度こそ年貢の納めどきか…!
 抗がん剤治療で治るわけねぇ。20日に哲と佐世保総合病院行ったら余命言い渡されるやろ。

 俺に今、親父のために何ができるんじゃ。
 今すぐ、家族3人で鹿町に飛んで帰って親父を白々しく慰めてやることか?
 親父が一番喜ぶ事……
 俺ら男3人兄弟が嫁孫も交えて仲良く語らう姿を見せる事、これが親父が最も喜ぶことやねぇんか!
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西海橋

「労金にしゅうかの…ん~…ばって今まで下ろさんで我慢してきたけの」
 親父は思案する。
「おっさん、親和銀行にしときない、労金はそのままにしとった方が良か」
「そうやの。そうしょう」

 親父は康太を見た。
「そんならこの金は全部康太にやる。おかさんの面倒よう見てくれるけん康太が一番かわいか」と、にこっと笑う。
「おっさん、ちゃんば甘やかしたらいかん」
 俺が冗談ぽく釘を刺すと、

 康太が、
「俺もいらん。自分の力で生きて行く」
「そうか、そんならこの車を康太にやる、どうせ乗れても2・3年やけんな」
「爺ちゃん、そんならありがたく貰う」
 親父はそんなちゃんに頼もしそうに眼を細める。

「このままおっさんの運転で佐世保総合病院まで行ってみゅうか」と提案する俺に、
「何の事はなか。何処まででも大丈夫たい。どんとこいたい」
 親父は自信満々だ。

 ――本家の叔母が言う、後ろが踊りよる?どげなことや――
 俺は親父の運転を注視した。腕が震えている。車が右に左に揺れる。時々中央線をタイヤが踏む。対向車が来ると慌ててハンドルを切り込む。

 危なっかしい運転だったが、何とか佐世保総合病院には到着した。
 俺は課題を出した。
「おっさん、駐車場に入って枠に停めてみゅうや」
「何っちゃことないさ」と親父。
「どうや」
「おっさん、こいじゃ隣の車に悪ぃばい」
 
 ギャランは枠には収まっているが大きく斜めになっていた。
 数度入れ直したがあんまり変わらない。
「お父さん、また曲がっとる」と見兼ねた嫁がダメ出しする。

 しまった。 始まった。嫁はしつこい。同じ事を何度も繰り返すこの性癖には俺も息子も辟易している。この辺で親父に助け船出してやらないと、親父の気が滅入ってしまい、車買うん止めたとか言い出したら大変だ。

「おっさん、こいだけ運転できたら十分じゃ。軽になったら入れ易うなるけんよ」
 親父は嬉しそうに、
「そやろ、そやろ」と顔を綻ばす。
「そんなら新車ば楽しみにしときない。後は昼飯でも食って帰るか」

 話は戻るが、今日の帰郷はあくまでも新車の納車と言う仕事だ。昨日の夜小倉を出たが、親父が7時までに来いと言うのでと店長に断って早めに仕事を上がらせて貰い、夕方5時に家を出て佐世保に向かった。鳥栖までの高速代は会社に経費で認めて貰った。鳥栖からは一般道に下りた。 多久の辺りでテレビの龍馬伝に気を取られ慣れた道を迷ってしまった俺は、嫁にダメ出しされ運転を代わらせられた。

 これ幸と後席で睡眠だ。起きたときには鹿町に着いていた。これも軽にしたお陰だ。嫁が積極的に運転するようになった。俺にとっては楽なことこの上ない。

 納車を俺が4月6日に拘った理由は息子のことと花見だ。家に篭りがちの親父とお袋を西海橋の桜を見に連れて行ってやりたかった。1台の車で5人が動けるのは今日が最後だ。ギャランは13年の役目を終えて安らかな眠りに入る。

 後何年、親孝行ができるのか…?
 一緒に住んでやれない俺ら家族はできる限り帰郷して高齢の両親が楽しめることをやってやりたいと思っている。
  今日は親父の検診日だったようだ。

 朝早う出るのでお前達はゆっくり寝とっていいぞと気遣う親父に、
「気にせんでよか、俺らは休みのときでん朝7時には起きとるんやけん。ちょうどよか、俺が総合病院まで連れて行ってやるわ。そん後西海橋に花見に行くか」
 西九州道は今年佐世保市役所の手前まで延びて佐世保中央インターが出来た。西海橋は久しぶりだ。

 道もずいぶん変わっている。俺は無難に国道35号線から行くことにした。
 トランクには親父が御座を準備していた。西海橋は西彼杵に行く途中にある。俺は知らなかったが、西海市に変わっていた。

 道路標識通りに車を走らせた。前に行ったとき沿道は淋しいものでコンビニは1軒もなかったと記憶していた。

 見えたら即入るつもりでファミマに飛び込んだ。いなり寿司とか焼きそばとか買い込んだが、何のことはない。それからも沿道に数軒のコンビニを認めた。
 紙皿を買うためにローソンに入った嫁が車に乗り込んでちくっと俺を皮肉る。
「何も急いで買う必要なかったのに。ここの方がいっばいあったよ」
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プロフィール

kusukuri

Author:kusukuri
ブログ書き綴って7年が過ぎました。近頃悟った様な気がします。人生これ全部“ブログネタ”だと。文章は芸術です。それを極められるなら、私は時間と努力を惜しみません。そして何年掛かっても、今、私の頭の中にあるもの、全部吐き出して形にしたいと願ってます。もし私が死んだら小説の中で永遠に生きていたいと馬鹿な妄想しながら書いてます。

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